B612の世界を覗きみたい。

主に占星術やダイエットのこと書いてます。

愚痴は、非生産的?むしろ、生産的のまちがいじゃない?

こんにちはー。

今日も今日とて暑くてアイスが手放せませんね〜。

みんな、いきてますか?わたしはギリいきてます。

 

さて、あいさつはこんなところで。

 

本日は、愚痴が非生産的だという考えに異議を申し立ててみようかなーっと。

 

よく男女の"相談"についての認識のちがいに女性は愚痴=相談なのに男性は愚痴≠相談で愚痴と相談は別物だと分けて考えているから女性は相談に乗ってほしいのに分かってもらえないと嘆き男性は非生産的な話を聞かされたと辟易する というなんとも悲しいすれちがいがよく起こっているが。

 

だがしかし!

 

ほんとうに、ほんとうに、愚痴は"非生産的"なのだろうか!!!!!

 

 

というのも、わたしたちの身近にあるものは、そうした愚痴や不満といったいわゆる非生産的な話から生まれたんではないかな?

 

たとえば、服なんかがそうじゃないかな。

 

より身の安全をたしかにするために、外敵から身体を守るために服が生まれた。

 

おそらく、服が生まれる過程でちょっと草むらに入っただけで切り傷が絶えなかったり動物に引っかかれて血がドバドバ出たり飛び火して火傷したりして『あーあ、、また怪我した。こういうときに身を守れるもんがあったらなあ』みたいな愚痴や不満から服が生まれたんではないかな、なんて。

 

ちなみに残酷卑劣な殺人事件、特に監禁系は犯人格がまず服を脱がすという手法を用いることでより洗脳しやすくするという話もよく聞く。

 

あとは、オウム事件なんかでも全員おそろいの白マキシワンピ(?)をなぜか着ていたけど、あれもそうした連帯感を強めるという意味での洗脳の一種じゃないかな。

 

服というのは、時代によっては身分や階級をあらわす意味もあったから服のパワーはあなどれないよっという蛇足の蛇足でした、脱線してごめんなさいでした。

 

話戻すと、服に限らずクーラーや冷蔵庫なんかも『暑い!暑すぎる!こんな暑くてやってられっか!部屋を冷やす方法がないのか!』といった怒り混じりの愚痴や『あーあ、、また食べ物腐った、、部屋に置いとくとすぐ腐るからなんか長期で保存できたらなあ、、』といった切実な愚痴もおそらくあったからこそ生まれたといえないかな。

 

つまり、なにがいいたいか。

 

男性の諸君!女性の愚痴をむしろあらたな視点に気付けた!とポジティブに受け取って積極的に聞いてみるが宜し!!!

 

その愚痴とやらからあたらしいアイデアが生まれ、そのあたらしいアイデアを仕事や日常生活に活かすこともきっとできるはず。

 

『おまえの話愚痴ばっかでイライラするし非生産的だ』ってキレるんじゃなく、むしろそっから仕事のアイデアに繋げる男のほうが、デキル男だなーって一目置かれるかもよ?

 

𝑭𝒊𝒏.

毒親の支配は、歪んだエゴでコーティングされた愛情表現なのかな、って。

こんにちは、9月入ってしばらく経ちましたが、、まだまだ日中は暑苦しいですね。

 

さて。

こないだ友だちとも議論しましたが、そのときに「医学部9浪殺人事件」の話になって。

 

医学部9浪殺人の概要。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%8B%E8%B3%80%E5%8C%BB%E7%A7%91%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E7%94%9F%E6%AF%8D%E8%A6%AA%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

 

ざっくりいうと、狂育ママと読んで教育ママの毒親に支配されていた30歳女性がついに疲労が超えて自分の倫理を壊すことで毒親から解放された話です。

 

ちなみに彼女は、塀の中のほうが楽だ、とも語っています。

 

それまでに母親からの支配は、彼女がその手をペンではなく凶器を握るという決断をさせるほどに苛烈だったのでしょう。

 

精神的な暴力も物理的な暴力もされ、自由に連絡を取ることも友だちとあそぶことも許されなかった。

 

彼女の生活には、勉強しかなかった。

 

それも母親に怒鳴られないように怯えながらする勉強しか、彼女にはなかった。

 

それが、どれだけ悲しいことかは想像がつく。

 

勉強は、本来は楽しいことなのに。

 

彼女には、自由がなかった。

 

彼女は、自由になるために、解放されるためにああした事件を犯したのはある意味仕方がない。

 

世間の声を聞いてもやはり彼女に同情的だったし。

 

ただ、その一方で『親から逃げることはできなかったのか』、『未成年ならともかく、成人していたら住み込みで働くなりいくらでもできたんじゃないか』といった疑問の声も。

 

それは、この事件のニュースを観たら分かるように逃げても母親が追いかけてきたから。

 

それも何度も。

 

場合によっては、親が免許証などを預かっていて逃げようにも逃げられないケースもある。

 

それにかなり無理をして逃げられたとしても、自立できたとしても毒親は、どこまでも追いかけてくる。

 

わたしの友だちがそうだったから。

 

三者は、いい加減解放してあげなよっておもったとしてもおそらくは無理でしょう。

 

彼女らが、自身の歪んだエゴでコーティングされた愛情表現以外の愛情表現があることに気付くまでは永遠に抜け出せない。

 

決して擁護しているわけではないが、毒親自身も子を愛している。

 

ただ、彼女たちはそうした愛情表現しか知らなかった。

 

よく虐待は連鎖されると聞くが、そういうことだ。

 

支配することを、愛情だと彼女たちは信じていてそれを否定するということは彼女たちのいままでを否定すると同義だから簡単には否定できないのだろう。

 

それこそ彼女たちの親の愛を否定することだからだ。

 

そして彼女たちに歪んだ愛し方をされた子ども達もどうして彼女たちから離れられないかは彼女たちの愛情を否定することは、自分は愛されていない、と認めることだからだ。

 

ここまで書くと絶望感しかないが。

 

さて、そんな毒親育ちには希望がないか。

 

方法はあるにはある。

 

ひとつめは、毒親自身が【自身の歪んだエゴでコーティングされた愛情表現以外の愛情表現があることに気付くまでは永遠に抜け出せない】に気付いたうえでいままでを否定すること。

 

自分自身を壊す作業だから心身ともに非常にキツイとはおもうけれど、どうか頑張ってみてほしい。

 

ひとは、その気になればいくつでも変わることはできるから。

 

変わることは、それまでの積み重ねを否定することだから勇気のいることだけど、それを乗り越えたら自身の闇を乗り越えられることだから破壊以上の恩恵もある。

 

そして、もうひとつは。

 

これは、医学部9浪殺人事件を聞いてまっさきに考えたことなんだけど。

 

そもそも毒親は手段を選ばないし一生粘着してくる。

 

ならば、こちらも手段を選ばず毒親が自ら死を選ぶように誘導すればいい。

 

どうやるか。

 

話が少し逸れるが、オウム事件で有名になった悪名高きマインドコントロールを良い方向で試してみては。

 

マインドコントロール は、たまたま悪用されただけで自分を守るためにもひとを助けるためにもつかえる。

 

あれって思い込ませるってことだから、たとえば自分は可愛くない…と容姿に自信がない女の子に対して『いやいや、あなたはとても可愛い女の子だ!』ってしつこいくらい褒めたたえて蝶よ花よと丁重にお姫様扱いしたら、はじめは疑いつつもやがてその女の子は、もしかして私って可愛いのかな…?と疑いを疑いはじめ、そして自信を持つようにもなるんじゃないか、と。

 

女の子を沼らせるテクニックとしてもつかえるから沼らせたい男は、ぜひ試してみて。

 

話を戻すと、その良い方向でのマインドコントロールテクニックを毒親相手にうま〜く利用すれば自分の手を汚すことなく毒親を自殺させる方向に誘導できるんじゃないかなあ、って。

 

死人に口なし っていうし、自分は親が自殺されて困ってる被害者として振舞っておけば誰かしら保護はしてくれるんじゃないかな。

 

こういうこというと、倫理観ガー警察がパトロールしてくるが、そういうあなたはどうすればいいかちゃんと考えたことはあるのだろうか。

 

わたしは、たとえ倫理的に問題のあるやり方でも問題を解決するためには必要だと感じる。

 

それを咎めるつもりなら、この国には非合法かつ秘密裏で代理殺人をする裏の仕事を黙認することが必要だと。

 

表にしたら、フランス革命前後のサンソン家みたいな差別を生み出してしまう。

日本にも江戸時代あたりにそうした差別もあったから、あくまで裏ですることとほんとうにあくまで最終手段にするといい。

 

じゃなきゃ、天狗党の乱みたいに血で血を洗う復讐劇になるから。

 

あくまで!最終手段!

 

怨念は怨念しか生まないからね。

 

だけど、無理して赦す必要もなければ黙って耐える必要もない。

 

毒親といることでメリットが一切なかったり、あったとしてもデメリットが上回ったら切り捨ててもかまわない。

 

簡単にはできないし倫理的スレスレのやり方だけど、こういうやり方もあるよ〜ってことで。

 

 

わたしは、親であっても激しく恨んでもいいとおもっている。

 

恨ませるほうが、悪いんだし。

 

ふつうに生きてて殺意沸くほどひと恨むこともないしね。

 

いっちゃえば、親も他人なんだ。

 

長年ルームシェアをしている同居人くらいに捉えとけばいい。

 

一緒に暮らせば、不満のひとつやふたつを抱くなんてよくあること。

 

それが、たとえ世間が親と決めたからといって踏み込ませていいわけないし親だからって踏み込んでもいいわけない。

 

自分以外の人間は、全員他人なんだ。

 

その意識を、みんな忘れているからこそいつまでもこうした家族の闇の物語は解決しないんだとおもうよ。

 

そして、毒親に追い詰められている毒親に育てられた子ども達へ。

 

いままでよく頑張ってきたね。

これ以上、あなた達は自分をそんな人達のために自分を犠牲にする必要はないよ、自由になりたいなら"したたかに"生きて。

 

 

 

 

・・・長々としましたが、今日はこのくらいで。

 

ちょっと疲れたので、やすみます。

 

では、また。

 

𝑭𝒊𝒏.

幸福の黒猫①

おはようございます〜。

そういえば、もうすぐ9月やなあ、9月といえば9月6日はク(9)ロ(6)の日だな〜っておもってうちの黒猫さんとの出逢いからいままでを振り返っていこうかな、って。

 

今月は世界猫の日(8月8日)もあったし。

 

先月は、うちの黒猫さんと出逢った記念日(7月6日)でもあったし。

 

それは、あまりにも突然の出会いでした。

 

うちの黒猫さんとは私が中学生のときにある日突然出会ったのでした。

 

いつものように親とごはんたべに家を出たらちいさなかよわい黒猫の赤ちゃんがか細くも必死にニャアニャア〜…と鳴き続けていて。

 

突然のことに私も少し戸惑ったけど、ごはんたべに行く約束していたからゴメンねって心の中で謝りながら一旦は車に乗ってごはんたべに行って。

 

夜遅くに親と共に家に帰ろうとしたら、まだ、あの黒猫の赤ちゃんがか細くも必死にニャアニャア〜…鳴き続けていたのです。

 

それも命懸けで。

 

ちいさなあんよでダニに吸われたお耳でふらふらした身体を支えながら階段を登ってきて、ついにうちの前まで登り切ったのです。

 

さすがに見ていられなかったのか、親が黒猫さんの赤ちゃんをついに根負けして家の中に入れたのでした。

 

ちいさなかよわい黒猫の赤ちゃん。

 

なまえは、まだ、このときはない。

 

ただのありふれた黒猫が、たった1匹しかいない特別な”ミャーちゃん”になるのは、まだ少し先のお噺。

 

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…𝓉ℴ 𝒷ℯ 𝒸ℴ𝓃𝓉𝒾𝓃𝓊ℯ𝒹…

 

 

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まどマギの魔法少女=花なんじゃないか説

こんにちは〜。

まどマギの新作映画、来年に延期になりましたね、、、:( ;´꒳`;)

 

それで本題なんですが!

 

きのう友だちと配信アプリでアニメレスバやってたのですが、そのときにまどマギのレスバとかしてレスバ中に『もしかしたら、まどマギ魔法少女は花モチーフなんじゃ?』ってなりまして。

 

なぜ、魔法少女=花ってなったかは、まえに親が花を嫌いな理由で『花は地縛霊みたいにずっとそこにいるから怖い。』といっていたことを思い出して魔法少女が魔女化したら地縛霊みたいにずっと成仏できずに地上で呪いつづけるという意味で。

 

はじめは希望を抱いて魔法少女として咲き誇り、やがて希望が散り魔女として地縛霊のように呪いつづける、という。

 

円環の理のシステムの詳細はよく分からないからあれだけど、登場した円環の理に導かれた魔法少女たちをみていると成仏した、という見方もできるからねぇ、、、。

叛逆でモチーフとして彼岸花が出てきたのも、そういう意味なんかなあ、って。

 

 

友だちも※女の子によく花の名前をつけられるけど、花の名前をつけると短命という都市伝説と花はすぐ散るからという意味でも有り得るかもねって納得していたので。

 

※あっ、もちろん都市伝説だから実際はちがうとおもいますよ!

 

ただ、あの虚淵さんだったら都市伝説の隠喩として魔法少女に落とし込むのでは?と。

 

とりあえず見滝原組でピッタリな花出てきたので書いてきます。

 

・まどか…桜 。花言葉が「精神美」「優美な女性」「純潔」「あなたに微笑む」。

まさに、まどか だなあ、と。

 

・さやか…勿忘草。花言葉が「私を忘れないで」。勿忘草の花言葉が生まれたきっかけになったエピソード込みでも さやか だなあ、と。

勿忘草のエピソード、めちゃくちゃ悲恋だけど綺麗な話なので興味あれば調べてみてくださいね!

 

・ほむら…百合or黒百合。百合の花言葉は、「純粋」「無垢」「威厳」、黒百合は「復讐」「呪い」。

どっちもぽいけど、百合は本編で黒百合は叛逆かなあ、って。

 

・マミ…向日葵。花言葉は、「憧れ」。

うーん、、マミさんは、なんかもっとぽいのありそうだなあっておもいつつ、いまのとこは向日葵がしっくりはきてる。カラーリングも向日葵に似てるし。

 

・杏子…彼岸花花言葉は、「悲しき思い出」「あきらめ」「独立」「情熱」。

友だちとも話してたけど、杏子ちゃんは魔女化したら中華系なのとカラーリング、花言葉彼岸花だなあ、って。

花言葉にも二面性のあるところが、まさにツンデレな杏子ちゃんらしさを強調しているな、とも。

 

 

見滝原組だけだと、こんなもんかな?

 

レスバ中にまどマギ関連で魔法少女になると生理止まる説出して友だちから『いや、それはないんじゃないかな?ただ、コントロールはできるとおもう』って反論されて、たしかにマミさんとか魔法少女歴ながいし止まってたら違和感感じるよな、と。

 

6話の冒頭?かな?投げられたさやかのソウルジェムという名の”本体”が戻ってきて目覚めたさやかは、事の顛末と真実を知りキュウべえに怒りをあらわにするシーンがあったけど。

 

そのシーンでキュウべえがさやかのソウルジェムに手を押し当てた瞬間、さやかはお腹を手で抱え込みながら悶え苦しむ描写が生理痛で苦しむ女の子みたいだな、ってなって生理止まってる説唱えたという経緯でした。

 

ただ、生理痛や経血を無意識にコントロールしてるんだとしたら違和感を覚えず戦いに没頭できただろうから友だちの反論が正しいな〜って。

 

じゃあ、もしかしたら生理痛ではなく妊娠の痛みとも捉えられるんじゃないか?

 

もしかしたら、あの描写は妊娠で生理が遅れた女性を暗にあらわしてる?

 

妊娠は、当の女性本人からしたら人生を揺るがす重大な真実だから。

 

特に中学生が妊娠した、となると親や先生には相談しづらいだろうし。

 

まどマギ世界の魔法少女たちが、なぜ大人に相談せず自分たちで抱え込むのか、という問いに対する答えにもなってるし。

 

ひとりで抱え込んで自滅していく過程も、残酷なほど現実世界にも存在している中学生女子が妊娠してひとりで抱え込んで自滅していく過程にも似ているから。

 

それだったら、魔法少女の法と少を抜いたら魔女になる、つまり少女から女になる、という理屈はちゃんと成り立つし。

 

てっきり人間じゃなくなるだけじゃなく、女ですらなくなったからの絶望でさやか魔女化したんかなあ?っておもってたけど。

 

アウシュヴィッ●で囚われたユダヤ人女性が劣悪な環境で体重がガクン、と落ち痩せ細り生理まで止まってしまったことによる女性ですらなくなったという彼女たちの絶望に通ずるな、ともおもってて。

 

虚淵さんだったら、そのへんも取り入れてそうだし。

(謎に虚淵さんへの信頼があついw)

 

 

、、、だいぶ脱線したけど、もともとのレスバはさらに脱線してカオスを極めていたので笑

 

楽しかったけどねーーー!!!?!

 

 

まどマギ魔法少女は、花や女性特有の身体現象、さやかが最期に交したホストとの会話など女性を象徴したモチーフがあちらこちらに散りばめられていて。

(ちなみに、ホストとの会話は虚淵さんが実際電車で見聞きした会話だそうです。)

 

というか、ホストのあの発言いまの時代だと大炎上するからあのまま地上波にはながせないんだろうなあ、、。

 

めんどくさい時代になったね、ほんと。

 

いまの多様性って、なんかズレてるというか勘違い多様性って感じ。

 

mbtiの話になるけど、まえにISTPの方のスペースでいってた”劣悪な”Fi というか。

 

尊重するって、自分さえよければいいってことじゃないし自由な表現が制限されるのは非寛容的な世の中で生きづらいねー。

 

そういう考えもあるんやなあ、くらいに軽く受け流したいねー。

 

だいぶまた脱線したけど!

 

まどマギ魔法少女=花モチーフなんじゃないか説は、こんな感じでした。

 

 

、、、フェリシモさんあたりで、今度のまどマギコラボで見滝原組の魔法少女モチーフの花モチーフアクセサリーや見滝原組の魔法少女モチーフのイメージティーとか出してくれませんかね〜。

 

まどかは、桜のお茶とか杏子ちゃんはアップルティーとかさやかはバタフライティーとか。

 

アクセサリーは、さっきあげた花モチーフのアクセサリーだと嬉しいなあ。

 

それか練り香水とかもいいかも、、、。

 

出したら即カートinするので、何卒!!

 

 

 

𝑭𝒊𝒏.

 

黒執事考察記事をまちがえて別アカに載せたアホは、こちらです。

黒執事の考察記事書いたのに、、、まちがえて別アカに載せてしまった、、失念;;

 

黒執事考察記事は、こちらに書きました。

※蒼の教団編の盛大なネタバレ盛り盛りなので、蒼の教団編を最後まで読んでから読むことを推奨します。

https://myawkun706.hatenablog.com/entry/2024/08/18/183900

 

黒執事、おもしろいから読め!!!!

必要以上に誰にでも優しくするのはリスクを伴う。

タイトルの意味ですが、つい最近 誰にでも優しくすることの限界を知ったということです。

 

そもそも誰にでも優しくするのが、なぜ簡単なことじゃないか。

 

それは、あきらかに自身へ害を与えるひとにも優しくしたら自身の心身に危険が及ぶからで無意識にそうしたセンサーが働いて優しくするひとを選んでいる、ということです。

 

誰にでも優しくするというのは、危害を加えられるリスクを度外視して文字通り誰にでも優しくするからこそ危害を加える危険性のあるひとからは(もしかして、このひとは僕/私のことが好き…?)と勘違いして好きなら何してもいいだろうと甘えが出てしまう。

 

勘違いさせるひとを量産させてしまうという意味もあれば、勘違いするひとはどこか少しおかしいひとだからそういうひとにまで優しくするのはリスクが高いよー、という。

 

だって、まともな感性を持っているひとなら優しくされただけで、このひとは僕/私が好きだからちょっと雑に扱ってもいいか、とはならないはずです。

 

まあ、ほんとうに信頼できるひとか見極めるためにあえて誰にでも優しくして本性を暴かせてふるい落としていくというやり方もありますが、心身へのダメージが知らず知らずのうちに蓄積されるのでかなりリスキーですしオススメはしません。

 

 

 

わかりやすいたとえを出しましょう。

 

飲食店で店員さんに必要以上にクレームをいれる厄介な害悪モンスター通称クレーマーがいますよね。

 

彼ら彼女らは店員さんにならなにをいっても逆らわないから日頃の鬱憤を晴らそうとしている可哀想なモンスターなんです。

 

なんですが、クレーマーに理不尽に怒鳴られている店員さんはクレーマーの哀れさに気付ける余裕がないから頭を下げてしまう。

 

日本のサービスは素晴らしいです。

 

素晴らしいですが、なかには憂さ晴らしのために利用しようとする悪質なモンスターもいるのです。

 

それでサービス業に従事されている方々には心を折られてほしくないのです。

 

そんなにんげんのフリをした悪質なモンスターのために壊れてほしくない。

 

だから、全国すべての飲食店含むサービス業には必要以上に誰にでも優しく笑顔でいなくてもいいんではないか、と。

 

むしろ悪質クレーマーには、毅然とした態度を貫くほうがクレーマーはもう来ないだろうしほかのお客へも『当店ではマナーのなっていないお客にはそれ相応のサービスにしますよ?』という無言の牽制にもなるから第二の害悪クレーマーを生み出さない対策にもなるかと。

 

もちろんサービス業飲食店だけじゃなく、日常生活でときどきあらわれるにんげんのフリをした厄介な悪質モンスターにまで優しくする必要はないのです。

 

必要以上に誰にでも優しくする必要はないのです。

 

その優しさはほんとうに大切な方々のためにつかってくださいませ。

 

その方々たちととびきりの優しさを注ぎあってください。

 

誰にでも優しくすることは、簡単にできることではありません。

 

あなたの優しさが、無駄に搾取されたり浪費されませんように。

 

 

親とてひとりの弱いにんげんです。

こんにちは。

 

さて、タイトルの意味ですが。

太宰治の 桜桃 という短編小説の冒頭で『子供より親が大事、と思いたい。子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ。』と書かれています。

 

実は太宰治ダウン症の息子がいて、そのときの実体験から桜桃を執筆したという桜桃誕生秘話があって、そのときの彼の本音であるこの文章にかなり考えさせられました。

 

いまの時代でも、いや、いまの時代だからこそ世間が親にたいして求めるものがだんだん高くなってて親も世間の求める "いい親像″に無意識にこたえようともがき苦しんで最悪の場合毒親化をしているようにもみえる。

 

そんなバッシングや無自覚のプレッシャーに苦しめられてる親たちをみて親になりたくない、と感じ結婚や子育てといった世間の求める優等生から外れようとする若年層も少なくない。

 

無理もない話です。

 

親になる、ということは自由や自我を捨てて子育てというギャンブルに投じる、という意味ですから。

 

もし、この国で子どもがいじめを含む反社会的行動をしようものなら世間からの激しい制裁を親自身にも加えられる。

 

そうじゃなくても、親自身がかなり努力をしても子どもや世間には届くとも限らない。

 

むしろ、努力を裏切られるかもしれない。

 

親なりに苦手な家事を頑張っていたとしても世間からは全然頑張っていない、もっと頑張れ、とさらなる努力を求められる。

 

その求める基準を満たせなかったら【毒親】の烙印を押される。

 

親とてひとりの弱いにんげんだ。

 

私は世間は親という存在に求める基準が高すぎるようにおもう。

 

"いい親”になろうと苦手なことを必死に努力し、やがて苦悩の果てに病んでいく親が、特に母親が多いように感じてならない。

 

そもそも毒親毒親いうけれど、子どもが【毒子】という可能性は考えられないですか。

 

常識では子は弱く守るべきものとされているけど、むしろ逆で子どもは大人がおもっているよりも残酷でしたたかな生き物だと。

 

親のほうが、どんなに子どもに疎まれようが努力し続けていて世間のいう”いい親”という偶像に苦しめられてるという意味では、親こそが世間から庇護され支えられるべき存在なんじゃないか、と。

 

子どもは勝手に育つ。

 

多少おいたをして転んでも回復力ですぐにかすり傷を治して立ち上がれる。

 

親は、大人は、どうでしょう。

 

かすり傷が致命傷になる。

 

そんな弱い親を、あまり責めずに多くを求めずに彼ら彼女らをひとりのにんげんとして、ひとりの男と女としてみてほしい。

 

毒親問題に限らず、子持ち既婚者の不倫も結局は個ではなく親という役割を過剰に求められたゆえに起きたのだとおもう。

 

親とてひとりの弱いにんげんです。

 

世間も、そして子ども自身もあまり彼ら彼女らに多くを求めず彼ら彼女らを親としてのフィルターをはずして ひとりのにんげん としてみてほしい。

 

そうすることでみえる世界があるから。