こんにちは、9月入ってしばらく経ちましたが、、まだまだ日中は暑苦しいですね。
さて。
こないだ友だちとも議論しましたが、そのときに「医学部9浪殺人事件」の話になって。
医学部9浪殺人の概要。
↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%8B%E8%B3%80%E5%8C%BB%E7%A7%91%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E7%94%9F%E6%AF%8D%E8%A6%AA%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
ざっくりいうと、狂育ママと読んで教育ママの毒親に支配されていた30歳女性がついに疲労が超えて自分の倫理を壊すことで毒親から解放された話です。
ちなみに彼女は、塀の中のほうが楽だ、とも語っています。
それまでに母親からの支配は、彼女がその手をペンではなく凶器を握るという決断をさせるほどに苛烈だったのでしょう。
精神的な暴力も物理的な暴力もされ、自由に連絡を取ることも友だちとあそぶことも許されなかった。
彼女の生活には、勉強しかなかった。
それも母親に怒鳴られないように怯えながらする勉強しか、彼女にはなかった。
それが、どれだけ悲しいことかは想像がつく。
勉強は、本来は楽しいことなのに。
彼女には、自由がなかった。
彼女は、自由になるために、解放されるためにああした事件を犯したのはある意味仕方がない。
世間の声を聞いてもやはり彼女に同情的だったし。
ただ、その一方で『親から逃げることはできなかったのか』、『未成年ならともかく、成人していたら住み込みで働くなりいくらでもできたんじゃないか』といった疑問の声も。
それは、この事件のニュースを観たら分かるように逃げても母親が追いかけてきたから。
それも何度も。
場合によっては、親が免許証などを預かっていて逃げようにも逃げられないケースもある。
それにかなり無理をして逃げられたとしても、自立できたとしても毒親は、どこまでも追いかけてくる。
わたしの友だちがそうだったから。
第三者は、いい加減解放してあげなよっておもったとしてもおそらくは無理でしょう。
彼女らが、自身の歪んだエゴでコーティングされた愛情表現以外の愛情表現があることに気付くまでは永遠に抜け出せない。
決して擁護しているわけではないが、毒親自身も子を愛している。
ただ、彼女たちはそうした愛情表現しか知らなかった。
よく虐待は連鎖されると聞くが、そういうことだ。
支配することを、愛情だと彼女たちは信じていてそれを否定するということは彼女たちのいままでを否定すると同義だから簡単には否定できないのだろう。
それこそ彼女たちの親の愛を否定することだからだ。
そして彼女たちに歪んだ愛し方をされた子ども達もどうして彼女たちから離れられないかは彼女たちの愛情を否定することは、自分は愛されていない、と認めることだからだ。
ここまで書くと絶望感しかないが。
さて、そんな毒親育ちには希望がないか。
方法はあるにはある。
ひとつめは、毒親自身が【自身の歪んだエゴでコーティングされた愛情表現以外の愛情表現があることに気付くまでは永遠に抜け出せない】に気付いたうえでいままでを否定すること。
自分自身を壊す作業だから心身ともに非常にキツイとはおもうけれど、どうか頑張ってみてほしい。
ひとは、その気になればいくつでも変わることはできるから。
変わることは、それまでの積み重ねを否定することだから勇気のいることだけど、それを乗り越えたら自身の闇を乗り越えられることだから破壊以上の恩恵もある。
そして、もうひとつは。
これは、医学部9浪殺人事件を聞いてまっさきに考えたことなんだけど。
そもそも毒親は手段を選ばないし一生粘着してくる。
ならば、こちらも手段を選ばず毒親が自ら死を選ぶように誘導すればいい。
どうやるか。
話が少し逸れるが、【オウム事件】 で有名になった悪名高き″マインドコントロール″を良い方向で試してみては。
マインドコントロール は、たまたま悪用されただけで自分を守るためにもひとを助けるためにもつかえる。
あれって思い込ませるってことだから、たとえば自分は可愛くない…と容姿に自信がない女の子に対して『いやいや、あなたはとても可愛い女の子だ!』ってしつこいくらい褒めたたえて蝶よ花よと丁重にお姫様扱いしたら、はじめは疑いつつもやがてその女の子は、もしかして私って可愛いのかな…?と疑いを疑いはじめ、そして自信を持つようにもなるんじゃないか、と。
女の子を沼らせるテクニックとしてもつかえるから沼らせたい男は、ぜひ試してみて。
話を戻すと、その良い方向でのマインドコントロールテクニックを毒親相手にうま〜く利用すれば自分の手を汚すことなく毒親を自殺させる方向に誘導できるんじゃないかなあ、って。
死人に口なし っていうし、自分は親が自殺されて困ってる被害者として振舞っておけば誰かしら保護はしてくれるんじゃないかな。
こういうこというと、倫理観ガー警察がパトロールしてくるが、そういうあなたはどうすればいいかちゃんと考えたことはあるのだろうか。
わたしは、たとえ倫理的に問題のあるやり方でも問題を解決するためには必要だと感じる。
それを咎めるつもりなら、この国には非合法かつ秘密裏で代理殺人をする裏の仕事を黙認することが必要だと。
表にしたら、フランス革命前後のサンソン家みたいな差別を生み出してしまう。
日本にも江戸時代あたりにそうした差別もあったから、あくまで裏ですることとほんとうにあくまで最終手段にするといい。
じゃなきゃ、天狗党の乱みたいに血で血を洗う復讐劇になるから。
あくまで!最終手段!
怨念は怨念しか生まないからね。
だけど、無理して赦す必要もなければ黙って耐える必要もない。
毒親といることでメリットが一切なかったり、あったとしてもデメリットが上回ったら切り捨ててもかまわない。
簡単にはできないし倫理的スレスレのやり方だけど、こういうやり方もあるよ〜ってことで。
わたしは、親であっても激しく恨んでもいいとおもっている。
恨ませるほうが、悪いんだし。
ふつうに生きてて殺意沸くほどひと恨むこともないしね。
いっちゃえば、親も他人なんだ。
長年ルームシェアをしている同居人くらいに捉えとけばいい。
一緒に暮らせば、不満のひとつやふたつを抱くなんてよくあること。
それが、たとえ世間が親と決めたからといって踏み込ませていいわけないし親だからって踏み込んでもいいわけない。
自分以外の人間は、全員他人なんだ。
その意識を、みんな忘れているからこそいつまでもこうした家族の闇の物語は解決しないんだとおもうよ。
そして、毒親に追い詰められている毒親に育てられた子ども達へ。
いままでよく頑張ってきたね。
これ以上、あなた達は自分をそんな人達のために自分を犠牲にする必要はないよ、自由になりたいなら"したたかに"生きて。
・・・長々としましたが、今日はこのくらいで。
ちょっと疲れたので、やすみます。
では、また。
𝑭𝒊𝒏.