こんにちはー。
最近暖かくなってきましたね、ピクニック日和ですねぇ。
ピクニックにクロミちゃんのお弁当箱持って行きたいなあ、なんて。
さて長い長い前置きは置いておいて。
クロミちゃんの友だちでもありライバルでもあるマイメロちゃんは、よく『マイメロ好きな女はメンヘラ』という偏見が巷に溢れかえっていますが。
その偏見は当たらずも遠からずで、実際ちょっとメンヘラだと思われる方から愛されているような気もします。
まあ、サンリオ側が逆手にとって売り出しているのもあるとおもうけど。
だけど、実際メンヘラのなにが悪いのでしょう?
メンヘラと呼ばれる方々を見ていて気付いたのは、感受性が高くて心根が純粋な方が多いように感じられます。
たとえば、ピクニックに行くときも木々から射し込む春の木漏れ日やほんの少し生ぬるい風に揺れる大地に咲くちいさな花々を感じ取ってしまうがゆえに人の悪意も憎悪も愛情も優しさもぜんぶ感じ取ってしまうから、いや侵略されてしまうからこそ精神的に疲れやすいのかもしれないしそんな自分自身を弱いと決めつけて劣等感に苛まれる日々を人知れず送っているのかもしれない。
人よりも感受性が豊か過ぎるがゆえにだれからも理解されなくてさみしい想いをしてきたのかもしれない。
メンヘラというのも、一種の才能、もっといえばギフトなんじゃないかなあって捉えることもできるんじゃないかな。
所謂ノブレス・オブリージュみたいな。
持っていない人からしたら理解はできないし、されないものだとある種の諦念を持ってしまえば意外に楽になれるんじゃないかな。
豊かすぎる感受性を持っていたら、その豊かすぎる感受性をだれかのために活かしてみてもいいかもしれないね。
活かし方は、人それぞれだからそこは自分で見つけてみようね。
繊細って言葉も人によっては悪口だ貶し言葉だとなるけれど、むしろ繊細って褒め言葉だとおもうしどんな欠点だと感じる物事も長所に置き換えることもできるから。
繊細だからこそ、たくさん気付けるし人の痛みもよく分かる。
道端にひっそりと咲く花を見て綺麗だと感じられる心根がある。
繊細なのも感受性豊かなのも、そんな自分を弱いと嫌わなくてもいいよ。
感じ取れる心根が大切なのだから。
メンヘラというのも、感じ取れる心根があるからこそ。
ひょっとしたら、メンヘラってむしろ褒め言葉なのかもしれないね。
そう考えたらメンヘラっていわれても、あまり傷つかずに済むかもしれないね。
なんてことをマイメロ好きな女はメンヘラという説から、いろいろ考えてみました。
では。