B612の世界を覗きみたい。

ふだん思っていたことを徒然なるママに。

結局、マウントというのは双方の捉え方の問題なのでは。

こんにちはー。

今日はバレンタインですね、市場にはチョコがたくさん売られているからチョコ好きには嬉しい季節ですね。

 

さて、今回はバレンタインとはあんまり関係ないかもしれませんが。

(いや、ある意味関係はあるかな?)

 

よくマウントを取られた、という話題を聞きますが、よくよく考えたらこのマウントを取られた、というのは受け取り方の問題なんではないか、と。

 

たとえば、『○○へ旅行行ったんだ〜』って話されるとマウントを取られた、と解釈するひともいれば、へぇー、よかったね!楽しかった?って返すひともいるわけで。

 

ちなみに、わたしは基本後者のタイプ。

マウントが〜って捉えるよりも、知らないことを知れた!って捉えたいから。

 

知らないことを知ることは、楽しいことだから。

 

だから、敢えて価値観の合わないひととも付き合ったりするし。

 

知らない世界を知るための旅だとおもいながらひとと接しているから。

 

ただ、ひとによってはおなじ内容でも気持ちに余裕があるかないか、あるいは、届きそうで届かないから、とかといった嫉妬や羨望、劣等感、そうしたぐちゃぐちゃに混じりあったふだんは隠している感情を刺激されるからマウントを取られたとなるのではないか、と。

 

マウントを取られたとならないひとは、上記に当てはまらないか、余裕があるか、あるいは最初から諦めているか、ではないかな、と。

 

結局は、受け取り手のコンプレックスが刺激されるからという話でもあるかな、と。

 

だからこそ、もしマウントを取られたと感じたら逆に自分自身を見つめ直すきっかけにしてみてもいいかもしれない。

 

そして、マウントがどうこうに関しては話す側も話す相手は選んだほうがいいかもしれない。

 

まあ選んだほうがっていわれても、相手の精神状態とか深い心理は分からないものだとおもうからもし話してみてマウントが〜っていわれたら、あまり気に病まず相手のことを知れたと捉えたほうがいいかもしれない。

 

結局、どちらも捉え方や受け取り方の問題なのだから。

 

それにしても、なんでもかんでもマウントマウントってなるのは現代の悪癖だなあ、って内心ツッコミたくはなる…。

 

けど、欲しいものが手に入らない辛さも分からなくはない。

 

だから手に届きそうで届かないことを話されるのは傷付くのだろう、と。

 

そんなときだからこそ、自分自身の本音に気付くきっかけにもなるとわたしはおもう。

 

むしろ、マウントを取られた、と感じることは自分を理解するチャンスだとおもう。

 

どんなドロドロした感情も大事だから。

 

向き合いたくないかもしれないけど、どんな感情も、どんなあなたでも、嫌ってほしくない。

 

ドロドロした感情も、純粋な愛情も、どっちも受け入れてみてほしい。

 

どんな感情も、あなたの感情なのだから。

 

だからもし、バレンタインのチョコの数を自慢されたと感じたら、あっ俺、チョコいっぱい貰いたいんやなって自分を見つめ直すといいんじゃないかなあー。

 

長々と失礼。

 

では、よきバレンタインを…🍫