西洋占星術を現代風に解釈してみた。
こんばんは、暑いですね〜。
夏バテでぶっ倒れてますが、いまはなんとかブログ書く気力は回復してきたので書きますね。
さて、本題に入りますが。
西洋占星術…ホロスコープ、もっとわかりやすくいうと12星座占いは、歴史が長くたしか紀元前には既にあったんじゃないかなあ。
だからか、よく『女性にとっての太陽星座は理想の結婚相手で火星星座は理想の彼氏像』みたいな書かれ方をよく見かけます。
逆もしかりで、男性にとっては月星座が理想は結婚相手で金星星座は理想の彼女像とも。
けど、いまはLGBTとかで性が多様化してるしそもそもわたし自身がこのステレオタイプの西洋占星術の解説にすこ〜し疑問を抱いていて。
だって、いまは働く女性も多くて逆に専業主夫をしている男性もいて。
そうした社会的な役割も多様化しているからこそ、あたらしい解釈があったほうがより西洋占星術に馴染みやすくなるのではないか、と。
そこで、女性にとっての太陽星座と火星星座は理想の結婚相手とか彼氏像というのももちろんあるけれども、同時にその女性の持つ一面でもあって。
よくひとはじぶんと似ているひとを好きになるから。
(あるいは、じぶんと似ている推しを好きになる、ともいう。笑)
たとえば、わたしは太陽星座が射手座で火星星座が水瓶座だけど、たしかに自由気ままでマイペースなところあるし束縛は大嫌いで勉強好きで教わるのも教えるのも両方好きで勉強は勉強でも大学で習う勉強が好きという射手座属性と目上にもハッキリ意見をいい、二次元好きで個性的であと友だちにいわれたことだけど誰にでも優しくて分け隔てなく接する、友達思いとか。
どちらかというと、恋愛より友情を優先してしまいがちという水瓶座属性もあって。
月星座とアセンダントは乙女座だから、世話好き真面目な学級委員みたいなよくいえば清純派な堅物にみられがちだけど、金星星座が天秤座だから意外と話しやすいとも思われやすかったり。
男性の場合も金星星座とか月星座がそのひとの一面で、誰しもが受け身な一面もあれば能動的な一面もあり、ひとというものは多面性に富んでいるからこそときにじぶんが分からなくなったりすることもあると思います。
特にSNSや配信サービスが活発化している現代においては、キャラを作ったりしやすくなって“無意識“にじぶんを演じたり使い分けたりして余計に戸惑ったり疲れてしまったりしてしまうひともみていたらよく見かける。
そういうときは、こう考えてみたらどうだろう。
じぶんのホロスコープひとつとってもバラバラでいくつもの星座がじぶんのなかにあるのだから、いくつものじぶんがいても仕方ないのだ、と。
強さもあれば弱さもあって、受け身な一面もあれば能動的な一面もあって、ネガティブな一面もあればポジティブな一面もあって。
いろんなじぶんが、いてもいいじゃない。
だって、そのほうがたのしいでしょう?
脳は単純でも、‘’わたし‘’は複雑だからかんたんにはわからないし、わからせられないからこそひとというのは奥深く、ときにじぶんのなかで矛盾を抱え葛藤したり他者との交わりであたらしい‘’わたし‘’を知ったり見つけたり。
ときに他者と一線を交えたり、そんな化学反応がホロスコープを読めばわかるものだからおもしろいね〜。
じぶんだけじゃなくて身近なひとや推し、はたまたペットのことや今日の運勢もポジティブもあればネガティブもあってじぶんのなかにも身近なひとのなかにも推しやペット、今日という日のなかにもいろいろな要素があるから単純にじぶんはネガティブだとか、このひとは明るい人気者だから住む世界が違うだとか一面的に物事を見ずに多角的な視点がたいせつだ、と西洋占星術をやっていて気付かされたことでもあるからこそ女性の太陽星座が〜とかいう解釈ももちろん悪くはないけど、どうせなら西洋占星術の多角的な視点を活かして現代風にアレンジした解釈をしてみるのもおもしろいんじゃないかなぁ〜、って。
時代が多面性に富んだのではなく、多面性はひとりひとり個人的に秘めていてそれがいまの時代になってようやく表面化し出してひとりひとり胸のうちに仕舞っていた秘密が暴かれたようで皆困惑し、暴走しているようにみえる。
多面性は、誰しもが持っているのだから。
どうか、じぶんや他者、世間の‘’多面性‘’に惑わされず一面的に物事を見ずに多角的な視点でみたら戸惑うこともあまりなくなるかもしれない。
もし、まだ戸惑うのならば。
じぶんのなかにある星々と対話し、そっと星々の導く先を覗いてみても、いいかもしれない。