与えることは、支配するということ。
与えること─すなわち、プレゼントを贈ったりだれかに影響を与えるということは、相手に自分自身を印象付け自分自身が物理的に相手のそばにいないときも相手に自分自身の存在を感じさせるという意味では、支配しているといえるのではないでしょうか。
たとえば、元カレからもらったプレゼントや写真を捨てようか躊躇うのはきっとまだ元カレに支配されているということで元カレ自身も無意識にしろ‘‘そういうつもりで’’プレゼントを贈ったりしたのでは。
すこしでも相手の意識に残りたい、すこしでも相手のそばにいたい。
そんな意識のあらわれでは。
それが相手からしたら、支配されているように感じるのでは。
よく聞く尽くす女性を煙たがる男性は、その女性に尽くされるたびに自身を支配されているような感覚に陥っているのでは。
その女性がいないときも、その女性からもらったプレゼントをみるたびにその女性にあたかも見られているような、ある種の息苦しさを感じてそれが結果的に煙たがるという言動になるのではないでしょうか。
本人自体も無意識でしょうし、女性自身もせっかく尽くしてるのに、とやきもきするでしょうけど。
話が横道に逸れましたが。
与えることというのは相手に自分自身を忘れる隙を与えないという意味でもあり与える側は無意識に相手に自分自身を忘れてほしくない、自分自身がいないときも感じてほしいという想いを胸に秘めながら、そして自分自身のそうした仄かな独占欲に気付かないフリをしながら贈り物を贈る。
そして結果的に相手が‘‘すこし重いな…’’と好意を重荷に感じて遠ざけてしまうのであります。
かなしきかな、与えれば与えるほど相手は逃げてゆくもので。
でしたら、いちど相手に与えるのをすこしだけおやすみしては。
相手にもやすむ時間を与え、自分自身にも尽くすのをやすむ時間を与える。
─ときには、お互いに休暇を与えてしまえば休暇明けにはまたあなたを求めてくれるはずなのだから。